4.20.2006

ビゴーの熨斗紙

今年もBSEのおかげで、牛タンの入手が難しいと頭を痛めていると、杜若文庫の森登さんから、珍しい銅板画のコレクションをデジタル画像で見せていただく機会を得た。熨斗紙のような形のなかに、コックさんが描かれている。 トクというふちなしの白い帽子をかぶり、ダブルのコックコートを着て、左手をポケットに入れ、右手で頭の上に掲げた、大きな食器を支えている。左下遠景に は煙を出す煙突があり、右下に縦書きで「ビゴー」とサインが入っている。コックさんの表情はまだ若く、ちょっとあどけなさも残して、はにかんでいるように も見える。

こうした西洋料理人の服装を着こなして働く風景はいつごろ定着したのかはわかりかねるが、ズボンのポケットに手を入れているようすと、煙突の煙が産業化が加速化していった明治20年前後のように感じれられた。








(原画は杜若文庫・森登氏所蔵による)





ビ ゴーの著名な銅板画集は明治10年代後半までに初版が刷られたようである。明治15年に来日して、まだ髷を切っていない、浮世絵から抜き出てきたような庶 民の諸相や、路傍の放浪者、時に寺の門前にたたずんで物乞いをする病者までしっかりと視野に入れて、近代化の途上を描こうとした。

くだんのデジタル画像を銅版の枠どおりに四角く切って、小さな箱を包んでみるとぴったりで、おみやげなどを包んで渡す熨斗紙としてちょっとしゃれた感じだ。店の名前もないことから、私は私的な版の感じを受けた。

来 日直後から、ビゴーはさまざまな内職をして生活していたようである。ワーグマンの「ジャパン・パンチ」にもフランス革命記念日のために装飾ものを引き受け ているようすが書かれており、精力的に仕事をこなし、しかも卓抜したうまさを「ベラスケスのようだ」とからかわれている。その後も後見人だったフランス人の家のメ ニュー書きとかをやっていたようだ。

ちょうど『正月元日』という明治23年の諷刺画集のなかに、在日外国人の家の雇われ人たちが大枚のお年玉をばらまかれ、ひっくりかえっているようすが書かれており、そのなかの一人はこのコックさんと同じ服装をしている。

こ の銅版もそうした家の注文で書かれ、ビゴーは腕をあげつつあるこの若い料理人を主人公にして、手にはその家の特徴ある大切な銀食器をもたせ、印象深かった 正餐の思い出とともに、手土産を渡せるようにくふうしたのではないか。もらった客人たちは、おいしかった料理と楽しい会話のひとときのことを、帰宅後にま た思い出し、また料理人の腕前について知り合いに語って聞かせたりもしただろう。

そういうお土産を渡せるようなピエロ祭にしたいものである。

4.19.2006

過去の記録 2002-2005

2002年1月26日 横浜市緑区・山口順子宅
2003
年2月23日 横浜市緑区・山口順子宅
2004年1月24日 横浜市緑区・山口順子宅
2005
年4月30日 横浜市緑区・山口順子宅・プレイベント










満開の小さな藤の木と、遺族からいただいたビゴーの小さなドローイング。1918年にノルマンディ地方のル・トレポールで描かれたもので、港で遊ぶ子供が描かれている。
額装は、イタリア・シエナのVia di Cittaにある額屋さんに私の宝物のために、と頼んだもの。額屋さんは、薄い緑色の額を慎重に選んで、金色の枠線をうまくつけてくれた。

過去の記録 1982-2001

1982年1月26日 横浜・関外たんや(15人)来日100周年
1983年1月26日 横浜駅西口・辰巳(13人)
1984年1月26日 横浜駅西口・辰巳(13人)
1985年1月26日 横浜・野毛地区センター~末広(17人)
1986年1月26日 横浜・西地区センター~辰巳(18人)
1987年1月26日 横浜市港北区・山口順子宅(9人)
1988年1月26日 横浜市港北区・山口順子宅(7人)
1989年1月26日 横浜市中区・末次万実邸(10人)
1990年1月26日 横浜・関内レストランコルス(7人)
1992年1月26日 横浜・関内レストランコルス(7人)来日110周年
(この間プライベートパーティとして実施)
1999年1月28日 横浜市緑区・山口順子宅 復活ピエロ祭8時間
2000年1月29日 横浜市緑区・山口順子宅
2001
年1月(大雪で中止・丘の上のマンションからの帰路危険のため)



ピエロ祭2000(横田洋一氏撮影)