こうした西洋料理人の服装を着こなして働く風景はいつごろ定着したのかはわかりかねるが、ズボンのポケットに手を入れているようすと、煙突の煙が産業化が加速化していった明治20年前後のように感じれられた。

(原画は杜若文庫・森登氏所蔵による)
ビ ゴーの著名な銅板画集は明治10年代後半までに初版が刷られたようである。明治15年に来日して、まだ髷を切っていない、浮世絵から抜き出てきたような庶 民の諸相や、路傍の放浪者、時に寺の門前にたたずんで物乞いをする病者までしっかりと視野に入れて、近代化の途上を描こうとした。
くだんのデジタル画像を銅版の枠どおりに四角く切って、小さな箱を包んでみるとぴったりで、おみやげなどを包んで渡す熨斗紙としてちょっとしゃれた感じだ。店の名前もないことから、私は私的な版の感じを受けた。
来 日直後から、ビゴーはさまざまな内職をして生活していたようである。ワーグマンの「ジャパン・パンチ」にもフランス革命記念日のために装飾ものを引き受け ているようすが書かれており、精力的に仕事をこなし、しかも卓抜したうまさを「ベラスケスのようだ」とからかわれている。その後も後見人だったフランス人の家のメ ニュー書きとかをやっていたようだ。
ちょうど『正月元日』という明治23年の諷刺画集のなかに、在日外国人の家の雇われ人たちが大枚のお年玉をばらまかれ、ひっくりかえっているようすが書かれており、そのなかの一人はこのコックさんと同じ服装をしている。
こ の銅版もそうした家の注文で書かれ、ビゴーは腕をあげつつあるこの若い料理人を主人公にして、手にはその家の特徴ある大切な銀食器をもたせ、印象深かった 正餐の思い出とともに、手土産を渡せるようにくふうしたのではないか。もらった客人たちは、おいしかった料理と楽しい会話のひとときのことを、帰宅後にま た思い出し、また料理人の腕前について知り合いに語って聞かせたりもしただろう。
そういうお土産を渡せるようなピエロ祭にしたいものである。